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日々のメモ

「通じない日本語」を読んだ

2018/04/29

ヤバイのような意味が広くなったものや、ググるのような新しい単語が出てきている。 はたからみると新語は粗製乱造されているように見えるけど、裏にはしっかりとして言語学的に見て理由がある。

たとえば雰囲気を「ふんいき」ではなく「ふいんき」と言うことがあるが、なぜこのようになるのか。 「ふん」「いん」は長音節と呼ばれ、「い」「き」などは短音節と呼ばれる。 この長音節と短音節の関係により発音のしやすさが変わるのだそうだ。

具体的には、長音節の後に短音節が来るのが発音しやすい。 これは最近の若者だけの傾向ではなく過去から続いているものだ。

たとえば「山茶花」はそのまま漢字だけを読めば「さんざか」となる。 しかし、これは「長短短」という音節になる。 これよりも「短長短」になる「さざんか」のほうが発音しやすい。

また「短長」の発音も嫌わるようで「女房」は「にょぼう」と呼ばれていたが、しだいに「長長」の「にょうぼう」になったり、「長短」の「にょーぼ」のように発音するようになった。

発音だけでなく言葉の意味も世代によって変わる。

たとえば「全然」は、全然ダメ、全然書けないなど否定的な言葉が後に続くが、最近では全然おもしろい、全然良いなどの肯定的な単語が続くことが多くなった。

地域ごとに方言があるし、世代によって知らない言葉があったり、意味が違っているものもある。 知らないのだったら教えてもらえば良いが、同じ単語でも意味が違う場合は会話に違和感を感じて、相手を理解できなかったり不可解に思うかもしれない。 母語が違ったら、思いを完全に相手に伝えるのはもちろん難しいけど、同じ日本語を母語にしていても自分の言っていることと相手が認識していることは、実は思っているよりずれがあるのかもしれない。

「日本語」は一つではないと感じた。